日経の教育デジタル化の記事に違和感

2021年10月26日

久しぶりに心が動いたので投稿してみる

今朝の日経の1面に「黒板と紙を信仰」との見出しで教育のデジタル化が進まない事を批判するような記事が掲載されていた。

「ITで社会が激変しても「黒板とチョーク」「紙とペン」を信奉する学校文化がアップデートされる気配がない。~中略~神奈川県で端末の活用法を教える40代女性は「紙と鉛筆の方が頭がよくなると言って端末を使わない先生もいる」と“アナログ信仰”を嘆く」  日本経済新聞2021年10月26日付

これまでもブログやFB等でこのネタ使ってるが、私は決してデジタルを全て反対と言ってる訳では無い。アナログとデジタルをその特性に応じて旨く使い分ければ良いと思っているのだが、どうも世の中はアナログは悪であるという風潮が強いように感じる。

IT技術は日々進化しており、うまく活用することによって業務の効率化に繋がる事は重々承知しているし、弊社も紙屋であるにも関わらず一つ一つではあるが業務のペーパーレス化に舵を切っている。デジタル化で生産効率は上がると認識で弊社も動いてはいる。

でも、こと教育に関して効率化、生産性を追い求める必要があるのか?以前から疑問である。そもそも学校教育の目的とは?文科省のHPを見ると

「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、(以下の徳目を有する)心身ともに健康な国民の育成を期すること。」

とある。要は学校教育で様々な経験、訓練?を通じて社会に出ても適応出来る人格形成のためと理解する。ここで教育の電子化には「教科教育」が大きく関わってくる。

教科教育とは?ブリタニカ百科事典に「教科教育では人類の達成した知識,技術を整理して生徒に伝え,これを通じてその諸能力を発展させるような指導が行われる。」とあった。諸能力を発展させるために教科教育を行うのである。

大学や大学院の高等教育では、覚えなければいけない物量も多く、効率性も求められるかもしれない。高校教育も一部ではそうかも。でも小学校や中学校は反復して覚え、じっくり見ながら熟考することが求められるのでは無いか?

2021年10月21号の週間新潮に東大大学院の酒井邦嘉教授が書かれた「覚えやすいのはスマホより紙」という記事があった。

「~多くのリンクに目を通したり、動画を視聴したりするには、今までと違った時間の使い方が必要となります。その分自分で考えたり想像したりして、足りなくないところを補う余地がなくなってしまいます。教育は楽をすることや効率が目的ではありません、もっと時間をかけて物事を深く理解し、必要な知識を定着させること、そして未知の問題にもつうようするような柔軟な思考力を鍛えることが重要ではないでしょうか。便利なデジタル教科書やタブレット端末に頼る事です、繰返し書いて覚えるといった教育の根幹が揺らぐ事を憂いています」また、安易な検索によって、膨大な情報を受け止めきれず、表面的な理解にととまったりする可能性も指摘する。~中略~「教育の目的をしっかり見据えた上で、紙とデジタルを使い分けることが現実的でしょう。それはバランス良く選択すれば良いのではありません。あくまで『紙が主、デジタルは従』というあえてアンバランスな選択を貫く事が大切です。~中略~ 能動的な余地を残しておかないと生徒は受動的になってしまい、結果他として学力低下に陥る可能性があると思います」                        週間新潮2021年10月21日号

週間新潮がなぜにこのような硬派な記事を取り上げたのか良く分からないが、ものすごく共感した。私自身、漫画は電子書籍を利用しているが、小説ぐらいになると紙で読まないと頭に残りにくい。先般どうしても読みたい本が単行本しかなく、1800円と少々高かったが久しぶりに買ってみて驚いた。大判という事もあって、とても読みやすく頭に入りやすい、目も疲れない。読み返しも楽だった。やはり勉強も同じではないか?子どもの頃も勉強は出来た方では無いので、偉そうなことは言えないが、紙の方が頭に入りやすいし、何度も鉛筆やペンで書いて覚えるのがやはり学力向上への一番の早道であると思う。

先般中学生の次男が社会の問題集で分からないところを自宅のPCで検索して解いていた。ある意味、デジタル教育はこういう事を目指しているのかもしれないが、ネットでさっと答えを探して問題集を解く事が教育と言えるのだろうか?次男には自宅で勉強するときは電子辞書といえども使うな!と厳命した。本人は「効率が良くなるからイイじゃないか」とごねた。「勉強は効率的にすることではなく、より多くの知識を増やすこと。問題集は答えを書くためでは無く、覚えるために、理解するためにやる」と諭したが理解してくれたかどうか?

電子辞書やネットの新聞では調べようとした単語、読もうと思った記事しか目に入らない。紙の辞書や新聞の場合、その単語や記事の周辺の文字も必然と目に入ってくる。それを繰り返すことにより、時間はかかるかもしれないが、将来的には加速度的に知識量が増えていくものだと思う。

酒井教授の理論は、柴田博仁氏, 大村賢悟氏共著の「ペーパーレス時代の紙の価値を知る」でも様々な実権を通して科学的に証明している。

久しぶりに「教育の電子化」をネットで検索してみると、昨年読売新聞が特集したせいもあるのか、「電子化による学力低下」という記事は結構ヒットするが、「学力向上」というものは見かけなかった。デイリー新潮の記事によれば先進国である、オーストラリアはデジタル教科書の採用を止め、韓国も電子化に学力向上の効果は無いと断言したとある。

対し、国内のデジタル教育推進派の言い分は「ランドセルが重い」「早いうちにITに関わる必要がある」等々やはり「学力向上」を説いてはいないようである。

以前、「教科書利権を強くデジタル化が難しい」といった声が上がっていたが、学力向上効果がよく見えない状況で、教育の電子化を日経が一面で訴えようとするのは、やはり裏でIT利権が強権を発動しているのではないか?と訝しむ。

デジタル化で本当に子ども達の学力が向上するのであれば、替えれば良いと思うが、大人の都合で子ども達の未来を替えようとするのは本末転倒では無いか?